私は以前から「人をほめる」事に違和感がありました。
「人からほめられる」事は嬉しいです。自分が嬉しい事なら、人にしてあげればいいですのにね。
そんな矛盾にモヤモヤして色々調べてみたら謎が解けましたので、「ほめる」事に関してまとめてみました。
目次
人をほめる事は必ずしも良い事ではない
良くない理由1
「ほめる」事は「人を評価する」事であり、上から目線の発言です。
目上の人に対しては失礼にあたります。
同僚に対しても、上から目線の発言ということになります。
良くない理由2
ほめられた人は、高く評価されたことで嬉しい気持ちになります。
「またほめられたい」と思い、「人に評価される」基準で考え行動するようになります。
自分がしたい、自分が正しいと思う基準ではなく、です。
これは、子供を教育する場合、子供にとって良くありません。
自律性を欠いた大人にしていくことになります。
ほめたい時どうすれなよいか?
感謝する
その人の行為によって助かった事などを感謝します。
気持ちを伝える
その人の行為によって自分が受けた影響や気持ちを伝えます。
具体例
例1:子供が100点をとってきた。
解答:「おっ、満点!すごいなあ~」「おまえ、頭いいなあ」→×
解答:「今回、きちんと予習復習してたもんなあ~」「頑張った成果が出せてうれしいね、ママも嬉しいわ!ありがとう」→◎
例2:友人のコンサートを聴きに行ったら、演奏がすばらしかった。
解答:「演奏上手だね~すごい!」→×
解答:「〇〇さんの演奏を聴いてて、なぜか明るい気持ちになれたよ、ありがとう!」「私、2番目の曲が一番好き!また聴きたいよ~今度いつやるの?」→◎
まとめ
具体例で考えてみると、「ほめる」事は表面的で「お世辞」とも受け取れるような気がしますね。
でも、自分の気持ちを伝えるとなると、その人のその取り組みや成果をきちんと理解していないと出来ないです。
「ほめる」事が悪いわけではなく、ポイントはそこなのかもしれませんね。ほめたいと思う対象をちゃんと見ていて理解して、本心からほめたい気持ちがあれば、自然と出来るような気がします。
<参考資料>
「アドラー心理学」に注目が集まっている。ユング、フロイトと並ぶ心理学の巨匠の教えに「職場の困った人」への対処法を、アドラー心理学のプロがすべて解決。「診断書&処方箋」付きです。
人を褒めてはいけない理由
「すぐに他人を攻撃する人」との正しい付き合い方を考える前に、まずは、こんな質問をしてみよう。
Q. あなたの部下が、ある困難なプロジェクトを大過なく完遂した。部下を成長させたいと願っているあなたは、この部下に対してどのような言葉をかけるべきだと思うか?
(1)よくやったぞ。おまえはえらい。
(2)組織のために貢献してくれてありがとう。感謝するよ。一般的に、人を育てるには「褒める」ことが有効だと考えられている。誰でも褒められれば嬉しいから、1度褒められると、また褒められようと努力をするようになる。それこそ、人間の成長にほかならない……。
これは、人材育成のいわば「常識」だから、読者の多くは(1)を選択したのではないだろうか。ところがアドラー心理学では、「褒める」ことを徹底的に否定する。それどころか「叱る」ことも、そして「教える」ことさえいけないという。なぜ、人を褒めてはいけないのか。
理由は、「褒めることは相手の自律心を阻害し、褒められることに依存する人間をつくり出してしまうことになるから」だとアドラーは言う。「もう一度褒められたい」と願うことは、すなわち褒められることへの依存であり、褒められることばかりやろうとする姿は自律性を欠いた状態にほかならない。裏返していえば、人を褒めるという行為は、相手の自律性を奪って、コントロールしやすい都合のいい人間に仕立てようとしている行為だということになる。したがって、アドラー式に考えれば、正解は(2)ということになる。
アドラー心理学では、人を育てるには「上から評価して褒める」のではなく、「横から勇気づける」ことが有効だと考える。褒めることの正体は依存心を育て自律性を奪うという意味で「勇気くじき」にほかならないわけだが、では、人はどんなときに最も勇気が湧くかといえば、組織や共同体への貢献を「横から感謝された」ときである。こうした感謝を何度も受け取ることによってのみ、人間は自律的に成長していく勇気を獲得することができるとアドラーは言う。アドラーが賞罰教育=アメとムチの教育を徹底的に否定した理由は、ここにあるのだ。
引用元:プレジデントオンライン
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